救急車のサイレンがワンワンと鳴り響いている。
パトカー、それに消防車もだ。
通学路から少し足を伸ばした、おきまりの寄り道で
僕たちは事故現場に居合わせた。

居合わせた、とは言わないかもしれない。
人垣の向こうでは、もはやほとんどの作業は終了していた。
誰もがそわそわと「人」あるいは「人だったもの」を探している。
アスファルトにしみた血痕が少々警官のガードの隙間から見えただけで、
僕はぐっと嫌な気持ちになった。
”それ”を見たくて必死に背を伸ばしていたというのに。
隣では城之内くんが少しでも前に進もうと、じりじりと人垣を割り始めてる。
僕は彼の手にひっぱられて、よろけるように半歩前に進み出た。

写メールの絶え間ない音が八方から聞こえる。
城之内君、もういいよ、と見上げた金髪にかけた言葉はかき消されてしまったようだ。
器用に、確実に前に進んでいく彼が何を考えているのか、僕はわからなかった。
彼の熱心さが不審に思えて、眉をひそめる。
誰にだって好奇心あるから、それを責めたんじゃない。
ついさっきまで僕も背を伸ばして、見ようとしてたから。
それは多分ひしゃげた車体でも、ドラマでしか見たことの鑑識の手際でもなくて、
僕だって探したんだ。死体を。

死体はもう見る機会がない。とっくに救急車の中か、
さもなければ僕たちが来る前に病院へ運ばれたのだ。
それでも城之内君の歩みは止まらなかった。
性急ですらあった。
彼の大きくて、かさついた手のひらに握られた手首から、
何か違和感を感じる。
彼はさっきからまったく言葉を発していない。
城之内君、どうしたの。
僕は人を押しのけて、彼に並んだ。
見上げた彼の横顔に、僕はもう一度声をかけた。
城之内君、なにかあったの。
彼が口を開けたような気がした。
吐息のような震え、僕は彼がなんて言ったのかわからなかった。
だから、城之内君が見ているほうへ視線を合わせた。

イエローテープの向こう側では、こんな情景が繰り広げられていた。
横転した車体、白く焦げ付いたブレーキ跡、散乱したフロントガラス。
それぞれ時を止めたように放置されている。
放置ではなく、保存だとしても、僕にはそう見える。

人の気配はない。
否。
ひとつだけあったのだ。
主人を失った安全靴が転がっている。

瞬間的に、僕は彼のつぶやいた言葉を理解した。
父親を呼んだのだ。
以前彼は言ったのではなかったか――――

”安全靴を見ると、つまらない野郎を思い出す”

城之内君の手が急に冷たく感じられて、僕はかけるべき言葉を考えた。
なんてことだ。
頭がうまくまわらない。けれど、何かを言わなくては。

違うよ、まだ決まったわけじゃない。確かめないと・・・・・わからないよ。

声は七割がた吐息のような震えでしかなかった。
僕は彼の手を引き、もう一度強く言った。

家に帰ろう、城之内君。確かめよう。

城之内君はゆっくりと僕に視線を合わせてくれた。

ゆうぎ

彼がこんなにおびえるなんて。
僕は震える手で彼の手首をせいいっぱい握り締めた。
お互いに冷たい肌の感触は麻痺している。頭はもっと麻痺している。
鼓動だけが不規則に早くて、ギュっと心臓が締め付けられる。
僕は彼の手を引いて、押し寄せる人波を逆行した。
誰も文句は言わなかった。みんな目の前の光景に夢中だ。

ゆうぎ

僕は血痕を見たときと、ぜんぜん違う恐怖を感じていた。
最悪の結果が頭から離れてくれなくて、誰かに祈る余裕もなかった。
城之内君は僕におとなしく手を引かれながら、僕の名をいくつか繰り返していた。

彼は人ごみの騒音の最中で、こんなようなことを言った。

俺、さっき、思った。
これで楽になるって、そう思ったんだ。

君は悪くない。
僕はそう叫んだ。
城之内君はそれきり口をつぐんだ。

 

 

 

ガチガチと震える手でキーを差込み、ドアを開ける。
ゆっくりと開いた隙間から、薄暗く散らかった部屋の一部がのぞいた。
玄関には安全靴が無造作に落ちている。
音を立てぬように体を滑り込ませると、奥のほうから、低い、うなるような声が聞こえた。

城之内君は父親を起こそうとせず、そのままドアを閉めた。

ごめん。

ドアに額をつけて、確かに彼はそう言った。

怖かったね。

僕がそう言うと、

怖かった。

小さな声で繰り返す。
僕の声だって震えてる。
情けないけれど、ほかに言葉が浮かばなくて

よかったね。

背中にそっと触れる。
すん、と鼻をすする音。

うん。よかった。

そのまま城之内君は少しだけ泣いた。
サイレンが遠くの病院へと遠ざかる。

そして、安堵の日暮れ。